自分が大事にされていないと感じるときは(2)

謙譲の美徳

AIによれば、「謙譲の美徳」とは“控えめでつつましい態度を尊重する日本人の誇るべき価値観のひとつ。具体的には、自己主張を控え相手を立てることで周囲との調和を重んじる価値観で、日本の社会や文化に根付いている。それは、単に控えめな態度を取るだけでなく相手への敬意や思いやり、周囲の状況等々を的確に把握して(つまり、空気を読むってやつだね)適切な行動をとることを含み、この美徳は日本社会において良好な人間関係を築く上で重要な役割を果たしてきた”とあります。

この「謙譲」という態度を美徳と考える日本人(と、ひと括りにしてごめんなさいね)は、どちらかと言えばほめられるのが苦手で、ほめられるとついつい、それこそ反射的に「いやいや、そんなことありませんよゞ」と謙遜してしまうんだよね。実は、以前のワタシもそうでした。

(1)では、「自分で自分自身を大切にする」という考え方を推奨しました。この考え方に立つと、謙譲という態度はたしかに日本人が誇るべき美徳ではあるけれど、別の視点に立てば必ずしもオススメの行動パターンではないという見方もできるよね。

ほめられ上手になろう!

人が自分をほめてくれたら、言い方を変えれば、相手がほめるというカタチで愛を注いでくれたら、これからは遠慮なくその愛を受け取ることを習慣にしてみようか。「ありがとう!」って言ってね。それもまた小さな成功体験のひとつだものね。

でもね、お世辞ってやつは少しやっかいだよね。世辞と心のこもった真のほめ言葉は明らかにエネルギーの性質が違うものね。波動が高くなってくると、世辞の言葉にまとわりついている重たいエネルギーを敏感に感じ取ってしまうよね。そんなエネルギーを受けるとお尻のあたりがムズムズして、ちょっといたままれない気持ちにもなる。

まっ、それ(世辞という重たいエネルギー)も、実は自分が自分で創り出した現実なんだけどね。そんなエネルギーを受けたときは、それを正面から受けずに感謝といっしょにすぐに手放すといいよ。

でも何より、ワタシ自身もよくやっていた世辞や社交辞令という重たいエネルギーを手放していくことが自分で出来る何よりの選択なのかもね。世辞の後ろには自分が他人ひとから良く思われようとするエゴがあるんだよ。そんなエゴを手放して、今日からは自分に正直に、軽やかに行こうか!

もう、無理して周りに合わせる必要はないんだ。力を抜いて自然体でいると、自分だけじゃなくて、周りのエネルギーも軽くなっていくのがわかるよ^^