自分が大事にされていないと感じるときは(3)

そんなときこそ「被害者意識」を手放すチャンス!

人から不当な扱いをされた。軽く見られた。酷い仕打ちを受けた。冷静になって考えてみても、そりゃ酷い!相手が悪い!ついつい手近にいる味方に愚痴をこぼす。自分を正当化する。そうしたくなるときもあるよね、実際。

でもね、愚痴は自分だけでなく聞かされた相手の波動も思いっきり下げてしまうけれど、それだけじゃなくて、被害者意識が高じて復讐心にまで至ってしまうこともある。「だってしょうがないじゃない!こんな酷い扱いを受けたのだから」。何とかして相手を懲らしめてやりたい。(自分が正しかったってことを)思い知らせてやりたい。徹底的にねじ伏せてやりたい。そんな思いが、それこそ自然にわき上がる。自分を正当化し始める。でもね、実はそれが危険なんだよ!

腹立たしい立ち位置に立たされたときこそ、それを手放すチャンス!

加害者と被害者という図式に当てはめると自分は被害者だと信じている。でも、そんな立ち位置に立たされたときこそそうした思いを手放す絶好のチャンスなんだ。

アセンション”のただ中にいる今、まさにそうした図式が自分の周りで浮き彫りになっている。不思議と表面化してくる。でも、そうした立ち位置に立った、立たされた今こそ「あっ私は、今これを手放すことで調和のとれた軽やかな次元にシフトしていけるんだ!絶好のチャンスなんだ!」って見方を変えてみるのもありかもね。

大きな意識の転換期

こうした意識の大きな転換はこれまでにはなかった画期的な出来事なんだって。今まではそうした復讐の応酬が世の中を、世界を大きく歪めてきたんだ。

国と国との間の戦争は、その図式が、ネガティブな、悲惨な形で現実化した象徴的な形だよね。戦争のただ中にいる双方はまさに正義と正義の真っ向勝負の中でぶつかり合っている。そんな中で、毎日大切な命がたくさん失われていく。

でもそうした摩擦は、実は私たちの身近なところでも、大なれ小なれ日常的に起きている。職場で、学校で、コミュニティの中で、家庭で・・・。今こそ私たちはそうした構図の中から抜けていく、次元上昇していく絶好のチャンスの中にいるんだよ!

現実は幻

今世の中では、それこそいろいろな出来事が日々起きている。そんなとき、「あっ、これは映画館の客席の側で見ている映像なんだ。とても現実感があって、自分がその映像の中の登場人物になって苦しみ、悶え、もがいているけれど、でも実は、その映像は自分(たち)が創った幻なんだ! ハードな虚構なんだ」って視点を180°変えてみる。でもね、「現実は自分たちが創った映像、幻」だってのは、実際そうなんだよ。

真の平和は恩讐の彼方に

「戦争反対!」ってその思いは尊いけれど、でもそれが高じて闘争になってしまうと、また新たな復讐の種を蒔いてしまう。恩讐おんしゅうの彼方」にこそ真の平安がある

そうした意識の転換が習慣になってくると、自分が創り出した重たいエネルギーを手放す習慣が身についてくると、自分の波動がだんだん軽やかになっていくのが実感できるよ。さぁいっしょに、軽やかで調和のとれた新しい次元に昇って行こうよ!