🗡️ 山岡鉄舟(やまおか てっしゅう)とは?
🔹 幕末から明治を生きた剣・禅・書の達人
- 生年:1836年(天保7年)江戸・本所生まれ
- 没年:1888年(明治21年)享年53歳
- 通称:鉄太郎、一楽斎(号)
- 身長・体重:188cm・105kgという堂々たる体格
🔹 主な肩書きと功績
- 幕末の幕臣として活躍し、江戸無血開城の立役者
- 明治政府では明治天皇の侍従を10年間務める
- 剣術では「一刀正伝無刀流」を開祖
- 禅の修行にも励み、臨済宗の高僧から印可を受ける
- 書の達人としても知られ、芸術的な作品を多数残す
⚔️ 江戸無血開城の英雄
1868年、戊辰戦争のさなか、徳川慶喜の命を受けて単身で官軍の駐留する駿府へ赴き、西郷隆盛と直接交渉。
「朝敵 徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る!」と叫びながら堂々と敵陣に乗り込み、
江戸城明け渡しなどの条件交渉を行い、戦火を避けて江戸を守った。
🧘♂️ 禅と武士道の融合
鉄舟は剣術だけでなく、禅の修行にも深く取り組んだ。
その精神性は、彼の言葉にも表れている:
「武士というものは出所進退を明らかにし、確乎として自己の意志を決した以上は、至誠もって一貫するのが真の武士であり、また武士道でもある」
🏯 晩年と死
- 明治天皇から深く信頼され、侍従として仕えた後、全生庵(東京都台東区)を建立
- 1888年、胃がんにより死去。最期は皇居に向かって**結跏趺坐(けっかふざ)**の姿勢で息を引き取ったと伝えられている。
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